そして明日も生きようと思う

好きなものは、アニメ・アイドル・あまいもの。30代に向かってお散歩中。

不満足な豚と満足なソクラテスと逆立ちするリンゴ

長野県の地獄谷温泉に行ってきた。

主目的は自分たちが温泉に入ること。次に大きな目的は、猿が温泉に入る姿を眺めること。
地獄谷野猿公苑
なんでも日本で唯一、野生のニホンザルが誰に強制されるでもなく温泉に浸かる場所らしい。
日本で唯一ということは、きっと世界で唯一なのだろう。古代ギリシャにニホンザルはいないだろうから。

実際に行ってみると、意外とたくさん猿がいた。そして、当然のことながらそのあたりは彼らの土地なので、おさるさんたちは我が物顔で歩き、走り、飛び回り、毛づくろいをしている。私たちが歩こうと、話そうと、写真をとろうと、おさるさんたちには何の関係もないのだ。

何の関係もないからこそ、温かい(と彼ら彼女らが感じる)日にはおさるさんたちは温泉に入ってくれない。入る必要がないから入らない。
私たちが見に行ったとき、おさるさんたちは何をしていたかというと、ひたすら毛づくろいをし、観光客に向かってがんをとばし、雪を食って、温泉を飲んでいた。
雪を食って、温泉を飲んでいた。
なんだかそれはとても満たされた、とても幸せな生活に思えて、私は思わず「いいなぁ、こんな生活したいなぁ」と漏らしてしまったのだが、同行人にはそうは見えなかったらしく、その人は「幸せならこういう暮らしがいいけれど、ここで見ているだけでは幸せかどうかは分からないからなぁ」と言っていた。

おさるさんたちが幸せかどうか、私たちに分からないのは、果たして種族が違うからなのか、言葉を交わすことができないからなのか、それとも外から見ているからなのか。

しかし、人間同士でも、言葉を交わしても、なんであればどれほどの時間をともに過ごしていたとしても、自分以外の人間が果たして幸せなのかなど、誰にも分かりはしない。この世の中には分かる人もいるらしいが、それは分かったつもりになっているだけではあるまいか。

もっと言えば、内面から見たところで、自分自身でさえ、自分が幸せかどうかなどわ分からない。他人に迷惑をかけない範囲で、自分のことは自分で決めることができるので、自分がいま幸せなのだと決めてしまえば、幸せなのだなと思うことができるしそれは幸せということなのだ。幸せかどうかなど、結局は意思決定と、神経伝達物質の問題でしかない。

ということを考えながら見たおさるさんたちはしかしやっぱり幸せそうで、わたしはやっぱり雪を食って温泉を飲みながら生を全うする存在になりたいと思ったのだった。