KING OF PRISM 求められる自分の探し方(第6話 ミナト回感想)
「名前」をテーマにした連作短編集最終章、鷹梁ミナト回。いつか一男に向き合わなければいけないと考えつつカケルと名乗るカケル回、俺はもうダサいのりまきじゃない、高田馬場ジョージだ!のジョージ回。それと比べて、親からもらった名前をそのまま名乗っているミナトは、自分の名前を受け入れているようにも見えて、その実1番「名前」というものに囚われているようにも見えました。
例えば、滅多に実家に帰って来ないで久しぶりに帰省した孫に向かって「お前が家の港になるんだ」と豪胆に言い放つ祖父。ミナト=港というあまりにも分かりやすい図式に当てはめられてしまいがちな名前故に、「そういう役割」を時に意識的に、時に無意識に求められ続けたことが伺われます。母親が勝手に願書を送ってしまい、面接(?)のために上京する新幹線のシーンは、ミナトが自分の役割を「そういうものだ」として自分に課すような、そんな台詞がありました。おそらくあのままあの思考回路のままであれば、ミナトがエーデルローズに入学することはなかったのではないかと思います。コウジ、あのときミナトに出会ってくれてありがとう。美味しいご飯を振舞ってくれてありがとう。コウジの天然無意識人たらしには時々怨嗟の声(「コウジそういうところだぞお前!」という涙声)が聞こえることがありますが、このときばかりは「よくやった!!!!!」というところでしょうか。しかし、家族の中で長兄としての責任感を背負い込んでいるミナトに出された料理はお子様ランチ…コウジお前そういうところだぞ本当に。
名前に限らず、自分の役割を過剰に意識してそれに縛られてしまうことは、現実世界においてもよくあることだと思います。家族の中では、姉だから、兄だから、娘だから、息子だからと生まれ持った「役割」を、学校に上がればそれは「キャラ付け」として機能し、社会に出れば加えて「役職」が必ず付いてきます。真面目であればあるほど、周りが見える思慮深さがあればあるほど、この「自分に課された役割」に縛られていく、そんな人は少なくないはずです。突破口が見つからず、自分で自分をどんどん縛ってしまい身動きが取れなくなっていく、そんな膠着状態を「なんとなく最近生きづらいな」ともやもやしている人に、ミナトの父親はあの浜辺で、ミナトにミナトの名前の由来を話すことで、優しく寄り添ってくれたのだと思います。自分で自分の役割を「こうだ」と決めてしまい、がんじがらめに自分を縛ってしまっている人に、「そうじゃなくて僕たちはこう考えていたんだよ」と示唆を与えることの難しさ、優しさ。それを素直に受け止めさせるための信頼関係。言われた方がその言葉に救われ、顔を上げる瞬間。そういうこの世の美しいものがたくさん詰まった、6話屈指の名シーンでした。
この浜辺での両親との会話はまた、もう一つの点でも多くの人の心を滅多刺しにしたシーンだったことでしょう。父親からミナトへ送った、「君は僕たちの子供だ、才能はないかもしれない〜」で始まる一連の言葉です。
夢を抱いて地方から上京するとき、東京に思い描くのは憧れや夢や希望です。ジョージ回の感想でも触れましたが、地方から出て来た人間にとって、東京は、自分の夢を叶えるためのステージで、そこであれば今までとは違う自分になれるかもしれない、特別な場所です。そんな場所で、憧れの人を作ってしまったら。すごい人がいるのだと感動してしまったら。そこからの道は、その先を目指す道は、楽しいことやラクなことだけでは決して前に進むことが出来ません。思い通りにならないことがあれば悔しく、次第に見え始める自分の限界は苦しく、どうしたって自分には絶対に届かない場所に軽々登っていく(ように映る)周囲の人たちを見るたび、もう自分は東京に居場所なんてないのではないかという思いに打ちひしがれます。自分が憧れた人は段違いにすごい人で、背中だって追いかけることが出来る人ではなかった。世界が広いことは知っていたけれど、分かっているつもりだったけれど、でもここまで広いとは知らなかった。そんな気持ちを抱えながら、それでも憧れに向かって進み続け、自分の道を、自分の居場所を探し続けるミナトは、過去を捨て去って前へ前へとがむしゃらに進むジョージとは異なりますが、同じような強さを持つスタァ候補生なのだと思います。本当にすごい。立派です。
ただ、それは本人から見えている本人の周りでのみ起こっている出来事。たとえ自分の現状を訴えようと、物理的に離れて過ごす家族にとって、希望に満ちて家を発った姿が彼らの脳裏に残る自慢の息子/娘/孫。そのイメージがいつまでも色褪せない分だけ、涙や、後悔や、絶望はいくら言葉を尽くしても家族に完全には伝わりません。「ミナトはスタァになる勉強をしに東京に行ったんだから」という祖母の発言や、無邪気に「プリズムショーはどう?」と聞く母にとって、ミナトは今でも「すごい人がいるんだと目をキラキラさせながら東京行きを決めた鷹梁家の長男」のままだったのだと思います。それを分かっているから、そして自分から言い出した以上は、更には自分は長男だから、あの場でミナトは父の質問に対して「頑張ってるよ」と曖昧に言葉を濁すしかなかったのでしょう。私たちは、自分があの顔をする瞬間を知っている。これまでの人生で、あの顔を既に経験している。基本的にミナト回は30分のうち27分くらいは涙を流していますが、この辺りからは鼻水も止まらなくなってきます。
そして浜辺のシーンに繋がります。
ミナトは本音を隠すときに笑って目を閉じますよね。2話のユキノジョウ回、ユキノジョウがシンに枠を譲る際もそうでした。そうであるなら、浜辺シーンの冒頭、潮に翼のことを話すところの顔の変化はとても気になります。「翼に会うために帰ってきたのか」については目を閉じることなく「翼は大切な妹だ」と返しているのに、その後「母さんが心配だったんだ」の時には目を閉じているからです。その後「家に戻ってくるつもりなのか」と母に問われた際も当初は「まさか」と目を閉じます。ミナトが何故実家に帰ってきたのか、仄めかせていく演出なのかなと思いました。
周囲はみんなすごい、と言うミナト。単純にプリズムショーの実力で言えば、ミナトはエーデルローズの中で1人だけ特段劣っているというわけではないと思います。もちろんトップではありませんが、7人の候補生は、シン、ユキノジョウ、タイガ以外はそんなに差はないのではないでしょうか。その中で「周囲はみんなすごい、敵わない」と言えるミナトは、きっとプリズムスタァ候補生としてだけでなく、6人の色んな面を見ているのだと思います。ビジネスの世界に身を置きながらプリズムショーの世界でも努力できるカケル。美容に気を遣い、「可愛い」への嗅覚が敏感で、衣装を通じて6人を支えるレオ。曲を作らせたらとにかく天才のユウ。そういう他人の良い面が目に入りやすいミナトだから、「すごい人ばかり」という言葉が出てきたのでしょう。そのミナトの優しさを肯定しながら、ミナトが自分にかけたがちがちの鎖をほどき、ミナトに託した自分たちの理想を伝え、自分たちの息子だから、と前置きをすることでミナトの抱えている無力感をさらっと自分たち両親に起因するものだと引き取り、自分にしかできないことがある、今出来ることを精一杯やりなさいと優しく背中を押す父親の言葉は、ミナトだけでなく、同じように地方から出てきたものの自分の平凡さに絶望し、頑張り方も分からなくなり気が付けば同じ毎日を過ごすようになってしまった私たちへの言葉でもあります。あの浜辺で救われたのは、私たちだった。
とはいえ、ミナト回では課題もしっかり描かれていました。まずミナト自身について。カケル回でも触れましたが、2人ともエーデルローズ生との食事シーンもお風呂シーンもありませんでした。ミナトの場合、本音を話し、力になってくれたのは地元の家族です。東京にいる6人とそこから離れた場所で話が進む構成の当番回はカケルに続いて2人目でしたが、ミナトの場合はミナトが寮に帰ったシーンで6人の出迎えもなく、7人が一つの画面に収まる瞬間はなかったと思います。7人の絆の深め方という点では、全く足りていないと言わざるを得ないでしょう。
また、東京に残されていた6人について。彼らが話すのは常に食事のことで、ミナトがいなくなったことよりも「ミナトがいなくなったことによって自分たちのご飯が供給されなくなってしまった問題」を話し合うことに終始していた印象があります。ミナトは彼らと同じ学生で、スタァ候補生です。プリズムショーを行う仲間です。その視点が徹頭徹尾落ちていることが恐ろしく(カケルはちょっとだけ触れていましたが)、これは6人側の成長課題でもあるのかなと思いました。
これらの課題について、今まではミナト自身が料理係としての立場に満足し、甘んじていた部分もあったのだと思います。ただ、両親の言葉を受けて披露したプリズムショーは素晴らしいものでした。自分を卑下しすぎず、あの日に受けた衝撃を取り込みながら、自分にできる精一杯のプリズムジャンプを跳ぶ。そんなミナトなら、きっと今後、個人としても、スタァとしても、6人の仲間とも成長していける。私はそう、信じています。