そして明日も生きようと思う

好きなものは、アニメ・アイドル・あまいもの。30代に向かってお散歩中。

映画「億男」を見た

※ネタバレあり※


映画「億男」を見ていた。数週間前に見ていて、高橋一生さんの顔と声が良いこと
と、佐藤健くんがモロッコで言う「へんなつくも」がスーパー可愛いことと、蒼井優
さんの「借金が貴方から生きる欲をなくしてしまったのよ」は汎用性がそこそこ高い
セリフだな、ということくらいを思いながら過ごしていた。

わたしは落語「芝浜」を知らなかった。それは大変残念なことだけれど、この映画の
理解を10パーセントにも満たないものにしていた。そんな状態での感想は、感想に
すらなりえない。
なんとなく気分が乗らなくて、なんとなく仕事がうまくいかなくて、なんとか今日を
普通くらいの日にしたくて、帰りの電車の中で特段の理由はないけれど「芝浜」を調べた。ウィキペディア読んで愕然とした。これによると、わたしの考えていた映画「億男」は全く違う作品になってしまう。知識と教養は日常生活の解像度を上げる。視界が開け、鳥肌が立った。

ここで落語「芝浜」について簡単に説明することを許してほしい。
魚屋の勝五郎は、腕はいいものの酒好きで、仕事でも飲みすぎて失敗続き。その日も妻に朝早く叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かう。しかし時間が早過ぎたため市場はまだ開いていない。誰もいない美しい夜明けの浜辺で顔を洗い、煙管を吹かしているうち、足元の海中に沈んだ革の財布を見つける。拾って開けると、中には目をむくような大金四十二両。有頂天になって自宅に飛んで帰り、さっそく飲み仲間を集めて大酒を呑む。 
翌日、二日酔いで起き出した勝五郎に妻、こんなに呑んで支払いをどうする気かとお
かんむり。勝五郎は拾った財布の金のことを訴えるが、女房は、そんなものは知らな
い、お前さんが金欲しさのあまりに酔ったまぎれの夢に見たんだろと言う。焦った勝
五郎は家中を引っ繰り返して財布を探すが、どこにも無い。彼は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。つくづく身の上を考えなおした勝五郎は、これじゃいけねえと一念発起、断酒して死にもの狂いに働きはじめる。 
懸命に働いた末、三年後には表通りにいっぱしの店を構えることが出来、生活も安定
し、身代も増えた。そしてその年の大晦日の晩のことである。勝五郎は妻に対して献
身をねぎらい、頭を下げる。すると妻は、三年前の財布の件について告白をはじめ、
真相を勝五郎に話した。 
あの日、勝五郎から拾った大金を見せられた妻は困惑した。十両めば首が飛ぶとい
われた当時、横領が露見すれば死刑だ。長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾
得物として役所に届け、妻は勝五郎の泥酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」
と言いくるめる事にした。時が経っても落とし主が現れなかったため、役所から拾い
主の勝五郎に財布の金が下げ渡されたのであった。 
事実を知り、例の財布を見せられた勝五郎はしかし妻を責めることはなく、道を踏み
外しそうになった自分を真人間へと立直らせてくれた妻の機転に強く感謝する。妻は
懸命に頑張ってきた夫をねぎらい、久し振りに酒でもと勧める。はじめは拒んだ勝五
郎だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとす
るか」といったんは杯を口元に運ぶが、ふいに杯を置く。「よそう。また夢になると
いけねえ」(だいたいwikipediaより)

映画「億男」ではこの「芝浜」が要所要所で登場する。佐藤健演じる一男と高橋一生
演じる九十九は大学時代に落語研究部で一緒だった親友。そこでの九十九の十八番が
「芝浜」だった。
兄弟の作った三千万の借金の返済に苦しみ、妻子とも別居中の一男は、ある日三億円の宝くじを当て、使い道の相談のために十五年ぶりに九十九に連絡をとる。九十九は若くして起業し、今や総資産百五十七億とも言われているが、一男と会うと変わらずアバイスをくれる。その日九十九に勧められるままに三億円を現金化し、豪華絢爛パーティーを楽しんだ一男だが、果たして目を覚ますと3億円とともに九十九が消えていた。九十九の行方を追うため、九十九の過去を知る人間に順番に会っていく一男。九十九の半生を聞き、自分たちの学生時代を思い起こし、妻子と再び同居するべ
く奔走しながら、徐々に「お金の正体」について考えていく。

映画のラスト、電車に一男が乗っていと、何事もなかったかのように九十九が乗り込んでくる。一男の隣に座り、三億円を返す。「意味もなくお金を持っていくなんて、九十九がそんな男にはどうしても思えなかった。『芝浜』なんだろ?」と尋ねる
一男に、九十九は「夢になっちゃいけねえ。」とだけ返し、電車を降りる。

ここで「芝浜」のラスト、夢になっちゃいけねえを「九十九」が言う意味は何なのか。
大金を手にして舞い上がる勝五郎(一男)、勝五郎の身を案じて人の道に戻そうとする妻(九十九)、そうであるなら夢になっちゃいけねえと盃を置くのは一男であるはずだ。何より、一男はこのとき酒を飲もうとしていない。
やはりこの電車のシーン、というよりはこの映画全体として、勝五郎は九十九であり、妻は一男だ。ではその場合、酒と金は何に置き換わっているのか。夢だったに違
いないと受け入れた現実と、夢になってほしくない最後のオチは何なのか。きちんと
考えなければ、この映画を見たことにはならない。普通の映画だったねなんて、盛り
上がりどころが分からなかったねなんて、言ってはいけない

勝五郎はまじめに働けば三年で店を持つことのできる行商人だ。九十九も、才覚のあ
る商売人だった。勝五郎は酒で身を崩した。九十九は、何かが原因で身を崩しただろうか。人の道に外れようとしただろうか。だとしたら、どうして、どんな形で?
妻は勝五郎を案じて、勝五郎に打ち首獄門にならず生きてほしいと願い、大金の入っ
た革財布を隠し、最後にそっと勝五郎に差し出す。一男は九十九に、何を差し出した
だろう?

ここからはあくまでわたしの考察でしかない。全く見当違いの話をするかもしれない。

大金の入った革財布は一男自身だ。
金は、一男が九十九に対して抱いている「九十九は金を持ち逃げするような人間ではない」という信頼だ。それはニアリーイコール酒で、一男がいない間九十九が失っていたものは、九十九ががむしゃらに求めてたものは、他者からの信頼と、他者を信頼できる自分だ。人の道を外しそうになった旦那は、大金に触れるあまり人を信じられなくなった九十九だ。
夢になっちゃいけねえと九十九が手を放したのは、そんな一男の「人の好さ」で、
もっと落とし込むならやっぱり「信頼」だ。何度だって書くけれども、一男の「でも九十九は俺の金を持ち逃げするような人間じゃないからさ」が、九十九にとっては、過去に一瞬手に入れたと思っていて、でもずっともうないものだと思っていて、種明かしされた後にまた手を伸ばしそうになって、それでも手にいれないでおこうとする「他者からの信頼」だ。夢になってほしくない今の現実は、欲しかった他者からの信頼を手に入れたいまの自分、一男に「そんなことする奴じゃない」と言ってもらえたいまの自分だ。

表の芝浜と、裏の芝浜。落語「芝浜」を根底に流しながら、お互いにとってお互いを
勝五郎と妻に見立てる。そして「道を外れないで済んだ」と喜んでいる一男は、自ら
の行動で他者を救ったことに気が付いていない。

これはやはり、佐藤健高橋一生の顔が良いだけの映画ではないぞ