そして明日も生きようと思う

好きなものは、アニメ・アイドル・あまいもの。30代に向かってお散歩中。

KING OF PRISM 第4章を鑑賞済の世界線に来てしまった

今日は感想書けない、と言った舌の根も乾かぬうちに…感想ではないけれど、思ったことを残しておきます。なぜなら初見で感じたことは、初見の時にしか書けないから。長くなるかもしれないし、さっと終わるかもしれない。わたし自身どうなるか分からない感想文(感想って言っちゃった)、お付き合いいただければ嬉しいです。いつも通り、ネタバレありです。


第2章、第3章はバルトで最速を見ました。この時期はそのためだけに生きていたと言っても過言ではない。

翻って第4章、ゴールデンウィーク真っ只中、実家への帰省はなるべく長くしたい…という気持ちがあり、今日豊洲でお目当ての上映後舞台挨拶が当たっていたこともあり、とりあえず初日はパスすることに。決してネタバレを踏まぬよう、ファンの方のアカウントはフォローせず、ツイッターでの検索ももちろん我慢して、万難を排して挑んだ今日の上映でした。


今は、まだちょっと何があったか飲み込めていない。せっかくとても面白かったはずの舞台挨拶も、本編の衝撃を引きずったままだったので家に帰って来た頃には半分くらいは忘れてしまっていて、これはあらかじめ本編を観てから舞台挨拶の回を見るべきだったかな、と少し勿体無く感じています。武内駿輔くん、大好きなのに。畠中さんも八代さんも、初めて拝見したのに。五十嵐さん、寺島さんも合わせて、皆さんとても素敵でした。司会の方も。楽しい時間だったな。


問題の本編の話をしましょう。


…どうします?

何から言っていいか、というか、何を言ったらよいのか。


とりあえず、とんでもない世界線に来てしまった。こちらに来てしまったからには、第4章をまだ観ていない世界にはもう戻れないのです。わたしがいま住んでいる世界にはDメールがないから。電報申込みサイトじゃないよ、知らない人はごめんね。


とんでもないものを観てしまいました。今まで情報量が多い多いと笑い話のように言っていた本シリーズですが、笑い事でなく情報量が多い。その圧に潰されて息が出来なくなるかと思った。監督はわたしたちを信じてくれたのかな、まともな感性の人間はもうちょっと観る側のことを考えて手加減する気がする。改めて、改めて監督の本気を見た気がしました。つくる側が一番大変なのだから。本当に、本当にすごいものを作っていただいたと、ただただ感心しています。そういう意味ではとても貴重な体験が出来た、のかもしれない。喜ぶこと、なのかもしれない。ちょっとその辺はまだ、整頓できていないです。


OPが変わっていましたよね。初めて気がついたけれど、これまでも章を追う毎にマイナーチェンジしていたのだろうか。テレビ版では、話数を重ねる毎に少しずつ変えていくのだろうか。またテレビでの楽しみが増えましたね。


つぎ、いきなり情報量の圧に潰されました。記憶が…ない…

エヴァっぽいなと思ったのと、色んな人が言っていたM型F型はここで一旦回収するんだなと思ったのと…ルヰくんがイヤリングを引きちぎる回想はここだっけ、そのあとの回だっけ。そういえばイヤリング変わってたなと朧げに思いました。あ、あと、これプリリズ見てない人どうするんだろう、と思った記憶はある。いきなりりんねとか言われてもね。輪廻転生?みたいな。シスター姿の女性と奇抜な髪型の女性の関係もよく分からないですよね。ね。

本当にぶちぶちと途切れ途切れにしか記憶がないけれど、デートのときのルヰくんの服装、すごかったですね。可愛い、可愛いよ!でも…さ?レオくんの「可愛いものが好き」とは一線を画したお洋服でしたね。絶対着ないだろうな、レオくん。シンちゃんもポロシャツはいつものだけど、微妙に帽子被ったら眼鏡かけたり、あれはシンちゃんなりのお洒落だったのだろうか。見慣れないせいかちょっとびっくりしちゃいました。もしかしたら変装だったのかな。2人はそこそこ有名人だろうし。それだったらレオくんに言われるまでもなく、シンちゃんは有名人で行動に気をつけなきゃいけないって自覚してるってことですよね。立派だ…


ルヰくんのプリズムショーはすごかったですね。前回のポールダンスもまぁまぁ衝撃でしたが、まさかあれを遥かに上回る衝撃に出会うことができるとは。人生とりあえず生きてみるものですね。衣装もあれだし、ショー自体もシンちゃんへの愛がすごいし、正直、あれ、これほどの思いを、君はいつの間にこしらえたの???って思ってしまいました。今まで「そういうこと」は言っていましたが、シンちゃんの「???」みたいな態度も相まってか、こんなにストレートに好き好き言ってた記憶がないのですが、見落としていたのか、忘れているのか。とにかく、愛の大きさと深さに圧倒されてしまい、涙が出てくる隙間が心に生まれませんでした…圧倒。


そこから流れるようにシンくんのプリズムショーの番ですが、もう様子がおかしいじゃない。あー観たくないよーわたしはあの楽しげにチームとして少しずつ一つになっていく7人が見られればそれでよかったんだよー大円団のハッピーエンドでいいんだよーたとえ仁が救済されなくともこの7人が幸せであればよいのだよーという気持ちでした。はらはらし続けて、記憶がない。とりあえずシンちゃんが普通の人間として生まれ育っているのを見て安心した記憶があります。お父さんもお母さんもいるやん!よかったわーと束の間ホッとした瞬間。あとは何だろうな、シンとシャインとルヰとりんねが目まぐるしく変わって関わってすごいね大変だねという感じ。考えることも、話についていこうとする姿勢すら放棄した、眼球を動かすだけのヒトモドキがそこにはいた。いやーすごかったですね。ゼーレは大変、使者も大変。みんな大変。大変だ。


11話がとんでもなく長く感じられて、途中で12話のアバンにすっと入ったんだと思ったらそんなことはなかった。たぶんあれはAパートとBパートの境目だったのでしょう。ここまで長く感じたのはシリーズ追いかけて初めてのことでした。


シンちゃんがステージ上で倒れているのを見たとき、初めはショーの冒頭だと思った。寝る姿勢で始まるのか、いよいよ使者だなと思いました。RLのときのジュネ様、ジュネ様&りんねちゃん、キンプラのときのルヰくん、みんな横たわって始まるステージだったから。でもエデロのみんなが血相変えているのを見て、これは違う倒れたんだ、えらいことになったぞとどきどきしました。こっちでどきどきしてもしょうがないのにね。


12話。他にも仰っている方がいらっしゃいましたが、ショーが終わったことを告げるのも、映像を見せるのも、カケルなんだなと思いました。そういうところ、あるよね。何だかんだと大人なんだよなと、改めて感じました。いいんだよ甘えて。君はまだ高校2年生なんだから。ここでは同級生2人と同じ、高校2年生の少年なんだよ。

シャインのショーは怖かったですね。アニメで、ここまで「怖さ」を表現できるんだと、怖さに震え、恐れおののきながら感動もしていました。直接的に「怖い」表現はない。幽霊も、暴力も、大げさな音響もない中で、ただ淡々と狂気を恐ろしさとして表現するのは並大抵のことではないのだろうと、すごいなと思いました。顔は笑っているのに、曲も普通に流れているのに、なんでこんなに背筋が凍るほど、変な汗がたくさん出るほどに怖いのかなと思っていて、隣の方が仰っていましたが、目が全然笑っていなかったんですね。顔は笑っているように見えたけれど。それが余計に怖かったんだ、たぶん。本当に怖かった。いつも、それぞれ違いはあるものの、感動して心が震えるプリズムショー、同じプリズムショーなのに、こんなにも心がかちこちになって、怖くて、でも目を離すことはできなくて、こんな気持ちは初めてだったなー。7連続なのかなと思ったけれどあれは一度に7つのプリズムジャンプを跳んだの?全然分からない…

7人で向かうユニットショー、もう負けが確定したところからステージの方を向くまでの一連の流れ、わたしの気のせいかもしれないんですが、気のせいだと思うんですが、聖さんが励まして宥めすかしてもみんなちょっと「はぁ…でも負けですし…」みたいな雰囲気だったのに、山田さんが一言言ったらよっしゃ行くぞみたいな空気になりませんでした?気のせい?気のせいですよね?みんな…もしかして山田さんの言うことの方が響くのか…?確かにレッスンや寮の世話、青森への運転など、山田さんの方が一緒にいる時間長そうだし信頼関係ありそうだもんな…それに聖はほら、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ…ぽんこつ…だから…。わたしの気のせいなら良いんですけどね。だってやっぱり聖さん主宰だし。えらいし。みんなの心の拠り所であってほしい気がします。

7人のショーはうわーーーって感じで泣きました、とても泣きました。7人のショーにも、それぞれが言ってくれた誓いの言葉にも、ぼろぼろ泣きました。10話11話で泣かなかった分もここで泣いた。化粧はなくなりました。さよなら睫のカール、さよならアイライン、さよならチーク、さよならリップ。精一杯きれいにした顔で武内駿輔くんを見たかったけれど、しょうがないね。とても素敵なショーでした…たぶん。

たぶんというのは、7つの輪っかが出てきてシャインをぎゅうぎゅう締めて水の底に閉じ込めた辺りからの記憶がないから…いつの間に7人が鬼退治する話になってたの?モモはこの世界にいないし(いなくはないけど)、プリズムの使者を巡るあれやこれやはシンちゃん以外のエデロ生には全く関係のないところで進んでいたし、だからシンちゃん含めあの7人は何も知らないし、だから意識的にシャインを封印したわけではないのだろうけれど。一瞬のうちに一体何が起こったんだ…


その後も仁と母親のやりとりがあり、「法月に似たのですね、わたしも分かります」みたいな謎の台詞があって、あれこれはどこかで既にやっている話かな、何を追いかければこの言葉の意味が分かるんだ???と頭がはてなマークだらけになり、7人のその後が超光速駆け足で描かれて、あぁ菱田監督が最後の1話は後日談にするとどこかで仰っていたのは本当だったんだなと、もはや考えるという基本動作を全て放棄した頭でぼんやりと思いました。もともと13話で入り切らない程の情報量を詰め込み、1話はほぼオバレの話だったにも関わらず最後の1話は余裕を持たせることのできる監督、何者なんだ… とはいえ新しい風呂敷も広げていましたね。タイガのところにもトラチ(?)が来ましたし。タイガさんも咄嗟にお腹に隠してど根性カエルになっていましたが、本当に君たちは、同族嫌悪というか何というか。別に隠し場所はお腹だけじゃないでしょうに。仲良いんだなぁ、そのままでいてね。そういう関係、大好きです。

アレクもますます可愛くなっていましたね。強面で体格の良い高校生とマスコットの組み合わせ、良い…いつまででも見ていたい。写真にして写真立てに入れてリビングに飾りたい。本当に可愛い。

ユニット名はユウ回で出た通りでしたね。プリズム1は最後までセブンスターズみたいな名前(うろ覚え)で出ていたので、いつ回収するのだろうと思っていましたが、無事回収されてほっとしました。

最後はまぁ…大円団だったのかな?とりあえずこれで終わり。続きはあれば見たいけれど、わたしは新規キャラクターの応援がどうも苦手なので、プリララのキャラクターはなるべく控えめでいてくれれば嬉しいな、と、少し後ろ向きなことを考えてしまいました。


最後の最後、エンディングの後のCパート、ルヰくんのが太陽の話をするところ、いやーストレートな告白だね…と鑑賞後に寄った喫茶店でしみじみ噛み締めました。太陽は今までもずっと輝いてきたし、これからもずっと輝く。これってシンちゃん(シャイン含む)がこれまでも輝いてきたし、これからもシンちゃんがこの世界で輝き続けるということでしょう…?あれだけプリズムショーで告白を重ねたルヰくん、7人のエンゲージリングへの最高のカウンタープロポーズですね…最高。


後付けは、ルヰくんにりんねちゃんの記憶残ってるんだなーって嬉しくなって泣いちゃったけれど、でもそう言えば本編の中で記憶残してプログラムだけアップデートするみたいなこと言っていましたね。でも嬉しかったな。りんねちゃんとなるちゃんたちはさよならじゃなかったんだもん。



全体まとめるなら、シンちゃん推しはシンちゃんのマイソングもなけりゃレオくんが作ってくれた衣装も見れず、何よりプリズムショーが見られない悲しい終わり方だったのだろうと、辛く辛く思います。アレクにマイソングを過激派のわたしとしては、アレクにマイソングがなかったことも随分ショックで、演出の意図があるのは分かるけれど…でも…と大分ぐずぐずしました。シンちゃんファンの受けたショックはこんなものではなかったと思うし、正直かけられる言葉を持っていない…2期に期待するしかない…のかもしれない…わたしはシンちゃんを特別に応援しているというわけではないけれど、それでもシンちゃんのショーが見られなかったのはショックでした。見たかったな。

あとこれは本当に色んな人が言っているけれど、これ本当にテレビでやるの?このまま?無理だよ…

間1週間ずつ開くのも無理、心の準備出来ないまま10話に足を踏み込むのも無理、わたし今までの話で周りにキンプリ見てってかなり布教してしまって、これからどうしようと思っています。正直こんな話だと思わなかった、ちょっと軽率に他人に勧めるのは考えるな…という感想。わたしは好きですよ。わたしは追いかけてきてよかったと思った。キンプリを好きになってよかったと、本当に思っている。けれど、自分にとって良いものと、他人のことを思って勧めるものがいつも必ず一致するとは限らない。そう思いませんか。わたしはいま、この作品をこれから他人にどうやって勧めていこうかちょっと悩んでいます。9話まで見て、イイハナシダナーで終わりでもいいのかな、とか。でもそれだとキンプリ見たことになるのかな、とか。


豊洲舞台挨拶1回目で寺島さんは「キンプリを書く上で避けては通れない道」と仰っていたけれど、いや本当にどうしても避けては通れないのかな?とか。みんなそれぞれ乗り越えました、大円団、わーい、みたいな世界線なかったのかな?とか。それが見たかった、というわけではないですよ、念のため。重ねて念押し。

この辺は全然気持ちが整頓できていないので、あと何回か観に行ったり、他の人の感想を読んだりしたいなと思います。それにしても、次に観に行く回のチケットを取るときの気持ちが第3章までとは全く違う…今までは「楽しいものを何回も観たい」みたいな気持ちだったけれど、これはどうなるんだろう。怖いもの見たさ?ではないし…でも100%楽しみのために行きたい!みたいな気持ちでは、これも必ずしもそうではないし…他の人たち、どういう気持ちで次の回のチケット取っているんだろうか。

KING OF PRISMという希望(3話感想)

ここはしばらくKING OF PRISM の感想を呟く専用の場所になるでしょう。順番に書いていければいいのですが、とりあえず昨日見たばかりの3話を…なるべく3話以外のネタバレはせずに、書いていきたいと思います。


3話、タイガ回、映画館で2回見ました。だって舞台挨拶が2回当たったんだもの。第1章公開当時はそのくらいの気持ちだった。応援上映というコンテンツの面白さ故に何度も見に行ったキンプリ、でもプリリズ未履修だったこともあってあんまり入り込めず結局1回しか見に行かなかったキンプラ、エリートの圧が怖くて行けなかったローズパーティ…あの時もうちょっとアンテナの感度が高ければ、もう少しだけ勇気を出していれば、今となってはそう思うけれど、でもあの時があるから感じられる何かがある、のかもしれない。

いきなり前置きが長くなってしまったけれど、「そんな感じ」で臨んだキンプリ第1章、終わって見ればもう最高で、章が進む毎に指数関数的に映画館での鑑賞回数が増えていくことになった。この3話は、そんな第1章の最後を飾る大切なお話。

言い遅れましたが、当方箱推し、でも入り口はアレクだったから彼にはちょっとだけ感情の層が厚い、そんな感じ。カヅキに対する感情は取り立ててなく、チャラチャラするのが嫌いな子、くらいでした。たぶん。

まず初めに思ったのは、皆んなで実家に乗り込む構成の妙。アニメのお当番回というのは個人に深く切り込み、本人のルーツ、過去、内面、そういうものを表に出し、私たちが普段見ている彼ら彼女らと繋ぐ30分だと思っているので、タイガ回はどうするんだろうな、というのはぼやっと考えていました。だってタイガ、余程のことがなければ自分から過去の話とかしなさそうだもの。シャイ、無骨、ピュアボーイ。座敷で彼が発した「お前らには関係ないだろ」が、私の彼に対するイメージそのものでした。そこで、営業にかこつけて(かこつけたわけではないかもしれないけれど)皆んなで実家に乗り込み、お喋り好きのお姉ちゃんから過去を淀みなく話してもらうというのはとても上手なやり方だなと。

過去回想ではとにかく監督の細やかさが光っていましたね。たぶん全然拾いきれていないと思う、余白があれば情報と伏線を詰め込んでいく菱田スタイル。「お母さんは東京に住んでいたことがあったんだよね」とか、タイガが歩いているときの背景のポスターとか、お母さんがばらばら落とす雑誌とか、こまかいプリリズRL23話オマージュとか。発表会の日、先輩もう始まっちゃうよーからのわかながふらふら走っているところとか。いちいち涙を流していたら涙がいくらあっても足りない、でも涙は勝手に流れてくるんだなぁ。もしあそこでタイガがわがままを言ってタクシーから降りていたら、ショーをしないまでも最後のお別れを言えていたら、そしたらもしかしたらわかなは発表会に間に合ったかもしれないし、歴史は大きく変わっていたんだなぁ…そこでタイガの背中押してやってくれよカーチャン…涙

とはいえそういう過去改変は起こらないので、青森に帰ってプリズムショーの練習するタイガ、息子がいきなりプリズムショーの練習始めてお母さんどんな気持ちだったでしょうね。嬉しかったのかな。それとも心配とかしたのかな。この辺は何の描写もなく、もはや想像を超えて妄想するしかありませんが、一度は表舞台に立ち、絶頂期を表舞台で迎えられたのかどうかは分からないけれどいつまでも黄金期が続かないことは身に沁みて知っているお母さん、引退後は青森でリンゴ農家として生きているお母さん、もしかしたら私たちには想像も出来ない感情があるのかもしれないな、とふと思いました。

回想お終い。

そしてこの時点では恒例だったお風呂タイム、ユキさまの名台詞「下から火を焚いているからな」を挟み、畠中さんの独白が始まります。ここ、タイガと畠中さん3:7くらいの感じで畠中さんいませんでした?画面の水滴も相まって、悪いことしてる気分になっちゃった。お姉ちゃんの語りに任せていたタイガが自分で自分の気持ちを語り始めたときには自然と涙が出て来ましたが。自分で話せるようになったんだね。キンプリSSSにおいてお風呂が本音を出す装置として機能している、と指摘している方が大多数いらっしゃって、わたしもその通りだと思います。2話でユキさまが、3話でタイガが作ったこの流れ、今後とても重要になってくる、と思う。それは次回カケル回でも書けたらいいなと思います。

1発殴ったら青森に帰ろうと思っていたタイガ、でもカヅキ先輩の生き方が自分の想像していた遥か彼方にあったと悟った中学生、一体如何程の衝撃だったでしょう。ここで素直に凄いものを凄いと認められたタイガは本当にすごいし、田舎から出てきて頭でっかちになりがちなところ彼我の実力差をきちんと測ることができて、自分は全然彼に敵わない、自分は彼が均した道の上を歩いていただけなんだと思ってしまう謙虚さは本当にすごい。たとえそれが目の前でプリズムショーによってスタジアムを再建されるというびっくり体験を基にしているものだとしても、やっぱりかちかちになってあんなの俺の憧れてたカヅキさんじゃねぇ!と言ってしまう中学生もいるだろうに…この素直さがたくさんのファンを虜にしている一因なんだろうなと思いました。それにしても、カヅキ先輩、胸キュン体験キュンキュンキュン跳んでいるところ初めて見た気がするのですが、今まで跳んでました?びっくりしたんですが。それはタイガもびっくりするよね。わたしたちよりもよほどカヅキ先輩TOだもの。

余談ですが、他人が真剣な話をしている時にどういう顔をして聞くか、性格や関係性が見えてとても好きなのですが、このお風呂シーンでは皆が真剣な顔をしている中、カケルの顔が優しくて優しくて。テレビ放映時にようやく周りを見渡す余裕ができて気が付いたんですが、なんだか嬉しくなっちゃいました。そんなに優しい顔してタイガの話聞くなよカケル〜〜〜!

あとお風呂タイムでもうひとつ言うと、レオくんの「うらやましいです〜」がレオくん回で意味分かるかなと思ったんですが、7回見ましたがまだ分かりません。もう最終章始まっちゃうのに。どうしよう。他の方でも仰ってる方を見ましたが、レオくんてあんまり他者へのどちらかといえばプラスでない感情を素直に出さないというか、端的に言えば「うらやましい」って他人に対して使うのちょっと違和感ないですか。わたしはあります。だからきっと意味のある言葉なんだろうなって思ったんですが、分かりません。どう思われますか。

そんなお風呂シーンを経てのプリズムショー。わたしタイガはそこそこ有名人だと勘違いしていたんですが、まだ候補生の身、そんなはずはいですよね。香賀美タイガだって〜だれ〜みたいな聴衆の反応を見て、そっかそうだよねと思いました。何故勘違いしたかというと、もちろんわたしが生身で生きるこの世界では立派に有名人なのが1番、その前の話のユキさまがそこそこの有名人なのに引きずられたもある、あと、里帰りした最初のシーン、おばあちゃんがTAIGAって書いたTシャツ着てたんですよ、それ見てタイガオリジナルグッズだと思っちゃったんですよね。でもそんなわけない、グッズなんてあるわけなくて、そうするとあれは全然関係ない何かのTAIGATシャツを着ているか、手作りかなんですけど、どちらにせよめちゃめちゃタイガ愛されてるしおばあちゃんは可愛い。このタイガ回3話だけで人気投票あったら1票くらい入れてしまうかもしれない。おばあちゃん、かわいい。

なかなかプリズムショーの話が出来ない、いよいよプリズムショーですが、衝撃的な衣装の話はしません、出来ないから。歳の割にはピュアウーマンなので、スクリーンできちんと凝視できなかったんだよ…どこ見ていいか分からないじゃん…東京のネオンをひたすらに見ていました。きれいなネオン、当初青森と比べてくさしていた東京の夜景。わたしも田舎の生まれなので、初めは大嫌いでした、東京。なんでこんなに人が多いんだ、夜が明るいんだと文句ばかり言っていました…でも東京の光はこんなにきれいだったんだなって、なので衣装あまり見ることなくラッセラーラッセラーしてました(正しいコールアンドレスポンス知らなくて青森の方ごめんなさい)。昨日改めてテレビで見ましたが、歌もすごかったですね、超どストレートなラブソング。タイガ…でもやっぱりまだ画面正視できなくて、どきどきしながらだったのであんまり歌も聞けてません。その辺はCDでじっくり聴きたいと思います。絶対びっくりすると思う、だってほとんどちゃんと聞けてないもん。

ただプリズムショーでめちゃめちゃ感動したのは山車でエデロ7人を七福神にしたこと。正直七福神にどこまで意味があるかは分かっていないのですが、でもこの7人が7人で一つみたいな、ある種のユニット性、グループ性みたいなのを目に見える形で与えられたのってこれが初めてなんじゃないかな?と思っていて。7人の円陣はあるけど7人でショーしたことないし、キンプリはシンちゃんだけだし、キンプラはヒロ入れて3人選べだし。この7人がグループとして活動するのはたぶんこのプリズム1でのユニットショーが初めてのことで、だから今まで7人を総称する名前、グループ名みたいなのもなかったんですよね。名前がない問題はずーっと気になっていて、いつか与えられるのかなと思っていたので、ここで7人が一つになる端緒がようやく見えたというか、そうだよねだってポスター北斗七星だもんね!!!みたいな。そういう驚きと喜びがありました。タイガ回でやるんだ!という気持ちはあったけれど、まぁ誰の回でやってもきっと同じ驚きがあったと思う。

ちなみに山車については「それぞれのプリズムショーの感じが出てる」と仰っている方がいらしたんですが、す、するとシンくんのあの槍は…槍が…出てくるんです?ショーで?槍?…また???最終章が怖くて見られない…

めちゃめちゃ長くなった気がするのでこの辺で強引にまとめますが、まぁ最後はいい感じで終わってよかったね!!!あんわかのチェリピキはチェリピキ〜〜〜って感じでしたが、わたしは所詮SSSに向けてYouTubeテレビ東京チャンネルでプリリズRLを全話見ただけのニワカに過ぎませんので本物のエリートさん達に譲りたいと思います。

長文駄文、最後までお読みいただきありがとうございました。


あ!!!ひとつだけ!!!タイガのショー、めちゃめちゃ畠中祐さんぽくなかったです?それもあって正視できなかったんですけど、顔の振り方とか腕の動かし方とか、とにかくとても畠中さんぽかった、と思う。劇場で初めて見たとき、畠中さんに電極付けて3DCGモデリング(?モデリングって言うか分からない、詳しい人助けて下さい)したのかと思った、本当に。うわースクリーンに大きい畠中さんがいるーと思っちゃった。もし万が一2月に見られる機会があれば、本物じゃん!!!て言っちゃう気がする。

気がつけば早速3年A組を見なくなってしまった

菅田将暉くんの熱烈ファン、又は3年A組大好きな方々は回れ右をお勧めします。



テレビでは日曜ドラマ3年A組が流れている最中の時間だけれども、仕事が遅くなってしまっていまわたしは電車に乗っている。録画もしてこなかったし、そもそも存在を忘れてしまっていた。3年A組第3話を見る機会を逸してしまった後悔は、ない。


菅田将暉くんも永野芽郁ちゃんも上白石萌音ちゃんも福原遥ちゃんも好きで、何より、AKBオタクのわたしは、川栄りっちゃんが大好きだ。だからこのドラマを本当に楽しみにしていた。

1話を見終わるまでは。


色々と思うところはあった。菅田将暉くん演じる担任の先生のキャラクターとか、上白石萌音ちゃんの書く手紙とか、永野芽郁ちゃんの台詞回しとか。

それでも、それよりも何よりも決定的にだめだったことがあった。

菅田将暉くんが何度も何度も発した、「何故彼女は死ななければならなかったのか」という台詞だ。


「何故彼女は死ななければならなかったのか」という質問に対する答えは1つしかない。「死ななければならない理由などない」だ。それは、どんな文脈でも同じだ。「死ななければならない」人など、たとえフィクションの世界であっても存在しないはずだ。なぜ「どうして彼女は死を選んだのか」せめて「何故彼女は死ななければならないと思った/思ってしまったのか」と言えないのか。言えなかったのか。死ななければならない、の言葉の持つ暴力性を、圧力を、余りにも軽々しく扱ってはいないか。それは、どれだけ菅田将暉くん演じる担任の先生が追い詰められていたとしても、教え子に対する、最後まで守るべき絶対防衛ラインではなかったか。殴って言うことを聞かせることも、生徒を刺すことも、爆弾の恐怖で生徒の行動を支配することも、全部譲ったとして、それでも、自ら死を選んだ人間に対して「死ななければならなかった」とは、絶対に絶対に言ってはいけなかったし、言ってはいけないのではないか。


もしかしたら大きな意味のある言葉なのかもしれない。それなら早く種明かしをしてほしい。

もしかしたらそんなに深く考えていないのかもしれない。それならそんな脚本家は筆を折ってほしい。


死ななければならない人間などいない。その事実は、あのドラマを見ているであろう層に、繰り返し繰り返し投げかけるべきメッセージだと思うから。テレビがやらないなら、わたしが言う。

どうか、無意識のうちに「自分は死ななければならない」と思う人間が出ませんように。そんな人間はいないのだから。

映画「億男」を見た

※ネタバレあり※


映画「億男」を見ていた。数週間前に見ていて、高橋一生さんの顔と声が良いこと
と、佐藤健くんがモロッコで言う「へんなつくも」がスーパー可愛いことと、蒼井優
さんの「借金が貴方から生きる欲をなくしてしまったのよ」は汎用性がそこそこ高い
セリフだな、ということくらいを思いながら過ごしていた。

わたしは落語「芝浜」を知らなかった。それは大変残念なことだけれど、この映画の
理解を10パーセントにも満たないものにしていた。そんな状態での感想は、感想に
すらなりえない。
なんとなく気分が乗らなくて、なんとなく仕事がうまくいかなくて、なんとか今日を
普通くらいの日にしたくて、帰りの電車の中で特段の理由はないけれど「芝浜」を調べた。ウィキペディア読んで愕然とした。これによると、わたしの考えていた映画「億男」は全く違う作品になってしまう。知識と教養は日常生活の解像度を上げる。視界が開け、鳥肌が立った。

ここで落語「芝浜」について簡単に説明することを許してほしい。
魚屋の勝五郎は、腕はいいものの酒好きで、仕事でも飲みすぎて失敗続き。その日も妻に朝早く叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かう。しかし時間が早過ぎたため市場はまだ開いていない。誰もいない美しい夜明けの浜辺で顔を洗い、煙管を吹かしているうち、足元の海中に沈んだ革の財布を見つける。拾って開けると、中には目をむくような大金四十二両。有頂天になって自宅に飛んで帰り、さっそく飲み仲間を集めて大酒を呑む。 
翌日、二日酔いで起き出した勝五郎に妻、こんなに呑んで支払いをどうする気かとお
かんむり。勝五郎は拾った財布の金のことを訴えるが、女房は、そんなものは知らな
い、お前さんが金欲しさのあまりに酔ったまぎれの夢に見たんだろと言う。焦った勝
五郎は家中を引っ繰り返して財布を探すが、どこにも無い。彼は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。つくづく身の上を考えなおした勝五郎は、これじゃいけねえと一念発起、断酒して死にもの狂いに働きはじめる。 
懸命に働いた末、三年後には表通りにいっぱしの店を構えることが出来、生活も安定
し、身代も増えた。そしてその年の大晦日の晩のことである。勝五郎は妻に対して献
身をねぎらい、頭を下げる。すると妻は、三年前の財布の件について告白をはじめ、
真相を勝五郎に話した。 
あの日、勝五郎から拾った大金を見せられた妻は困惑した。十両めば首が飛ぶとい
われた当時、横領が露見すれば死刑だ。長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾
得物として役所に届け、妻は勝五郎の泥酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」
と言いくるめる事にした。時が経っても落とし主が現れなかったため、役所から拾い
主の勝五郎に財布の金が下げ渡されたのであった。 
事実を知り、例の財布を見せられた勝五郎はしかし妻を責めることはなく、道を踏み
外しそうになった自分を真人間へと立直らせてくれた妻の機転に強く感謝する。妻は
懸命に頑張ってきた夫をねぎらい、久し振りに酒でもと勧める。はじめは拒んだ勝五
郎だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとす
るか」といったんは杯を口元に運ぶが、ふいに杯を置く。「よそう。また夢になると
いけねえ」(だいたいwikipediaより)

映画「億男」ではこの「芝浜」が要所要所で登場する。佐藤健演じる一男と高橋一生
演じる九十九は大学時代に落語研究部で一緒だった親友。そこでの九十九の十八番が
「芝浜」だった。
兄弟の作った三千万の借金の返済に苦しみ、妻子とも別居中の一男は、ある日三億円の宝くじを当て、使い道の相談のために十五年ぶりに九十九に連絡をとる。九十九は若くして起業し、今や総資産百五十七億とも言われているが、一男と会うと変わらずアバイスをくれる。その日九十九に勧められるままに三億円を現金化し、豪華絢爛パーティーを楽しんだ一男だが、果たして目を覚ますと3億円とともに九十九が消えていた。九十九の行方を追うため、九十九の過去を知る人間に順番に会っていく一男。九十九の半生を聞き、自分たちの学生時代を思い起こし、妻子と再び同居するべ
く奔走しながら、徐々に「お金の正体」について考えていく。

映画のラスト、電車に一男が乗っていと、何事もなかったかのように九十九が乗り込んでくる。一男の隣に座り、三億円を返す。「意味もなくお金を持っていくなんて、九十九がそんな男にはどうしても思えなかった。『芝浜』なんだろ?」と尋ねる
一男に、九十九は「夢になっちゃいけねえ。」とだけ返し、電車を降りる。

ここで「芝浜」のラスト、夢になっちゃいけねえを「九十九」が言う意味は何なのか。
大金を手にして舞い上がる勝五郎(一男)、勝五郎の身を案じて人の道に戻そうとする妻(九十九)、そうであるなら夢になっちゃいけねえと盃を置くのは一男であるはずだ。何より、一男はこのとき酒を飲もうとしていない。
やはりこの電車のシーン、というよりはこの映画全体として、勝五郎は九十九であり、妻は一男だ。ではその場合、酒と金は何に置き換わっているのか。夢だったに違
いないと受け入れた現実と、夢になってほしくない最後のオチは何なのか。きちんと
考えなければ、この映画を見たことにはならない。普通の映画だったねなんて、盛り
上がりどころが分からなかったねなんて、言ってはいけない

勝五郎はまじめに働けば三年で店を持つことのできる行商人だ。九十九も、才覚のあ
る商売人だった。勝五郎は酒で身を崩した。九十九は、何かが原因で身を崩しただろうか。人の道に外れようとしただろうか。だとしたら、どうして、どんな形で?
妻は勝五郎を案じて、勝五郎に打ち首獄門にならず生きてほしいと願い、大金の入っ
た革財布を隠し、最後にそっと勝五郎に差し出す。一男は九十九に、何を差し出した
だろう?

ここからはあくまでわたしの考察でしかない。全く見当違いの話をするかもしれない。

大金の入った革財布は一男自身だ。
金は、一男が九十九に対して抱いている「九十九は金を持ち逃げするような人間ではない」という信頼だ。それはニアリーイコール酒で、一男がいない間九十九が失っていたものは、九十九ががむしゃらに求めてたものは、他者からの信頼と、他者を信頼できる自分だ。人の道を外しそうになった旦那は、大金に触れるあまり人を信じられなくなった九十九だ。
夢になっちゃいけねえと九十九が手を放したのは、そんな一男の「人の好さ」で、
もっと落とし込むならやっぱり「信頼」だ。何度だって書くけれども、一男の「でも九十九は俺の金を持ち逃げするような人間じゃないからさ」が、九十九にとっては、過去に一瞬手に入れたと思っていて、でもずっともうないものだと思っていて、種明かしされた後にまた手を伸ばしそうになって、それでも手にいれないでおこうとする「他者からの信頼」だ。夢になってほしくない今の現実は、欲しかった他者からの信頼を手に入れたいまの自分、一男に「そんなことする奴じゃない」と言ってもらえたいまの自分だ。

表の芝浜と、裏の芝浜。落語「芝浜」を根底に流しながら、お互いにとってお互いを
勝五郎と妻に見立てる。そして「道を外れないで済んだ」と喜んでいる一男は、自ら
の行動で他者を救ったことに気が付いていない。

これはやはり、佐藤健高橋一生の顔が良いだけの映画ではないぞ

獣になれない私たち第1話

今期の「女性だって人間なのだ」枠連続ドラマ。まだ1話のみの放送であるものの、世間からの期待感は高いように見える。


1話では新垣結衣演じる晶の描写に「苦しい」「涙が止まらない」など、主に女性からの共感の意見が爆発していた。ように見えた。


最後、晶の服装や化粧が変わり業務改善要求を突きつけるシーンでは胸のすく思いをした女性も多かっただろう。


…本当に?




とかくこの世は生きにくい。それは、一人で暮らして、男性に混じって働いて、うまくいかないことも、ほぞを噛むことも多いわたし自身も日々感じている。

「女性であるがゆえに」つらい思いをしている女性たちも、いまの世の中には多いと思う。


けれど、わたしはそういう論調をよしとしたくはないのだ。


私たちが「女性だからつらい」と声をあげるとき、それは慎重になされなければならない。


生きづらいこの世界は、本当に私たちが女性であるために生じたものなのだろうか。

職場で周りの目を気にして服装を決めるのは、私たちが「女性」だからなのか?つらいことがあっても笑っていなければいけないのは、私たちが「女性」であるからなのか?(もちろん、土下座した頭を撫でられる、というように女性固有の苦しさも描かれていたけれど。)



主語の大きさとして、特に女性という性別は時に便利で、共感を得られやすい。

けれど、そうであるからこそ、私たちは、このもやもやした感情の原因が本当に自分の性別に起因するものなのか、実はもうちょっと考えてもいいのではないかと思う。

それは、自分だからなのかもしれない。もしくは、私たちの世代だから、合わない風習だったり空気だったりするのかもしれない。もっと主語を大きくして、そもそもみんなつらいのかもしれない。今とは全く違う時代を背景に作られた制度が、平成も終わりになろうとしているこの時代にぴったり合致しているわけがないのだから。




さらに言えば、そもそも人間を男女ふたつに分けること自体がナンセンスとなりつつある今、女性だからと声をあげることは、力であり、リスクであると思う。その言説は、「(わたしのような)女性」にはなっていないか?その論調からこぼれてしまう「女性」はいないか?「女性」とは、なにをもって「女性」とするのか?




とは言えこのドラマを批判するつもりは全くないので、2話も楽しみにしています。願わくば晶が彼女なりに幸せになれるよう。

銀魂2〜掟は破るためにある〜を見て

遅ればせながら、銀魂2を劇場で見てきた。原作未読、アニメ未視聴、劇場版1作目は劇場で鑑賞。

見て思ったことをつらつらと書きます。ヤマなしオチなし。ネタバレ含む。



・ヘタレカプセルの働きが、人をヘタレにさせるのではなく、人のヘタレ部分を増幅して表面化させる、というのがよい。鬼の副長であっても心の中にヘタレオタクがいるということ。剣を抜けない副長がいるということ。それがback numberの「大不正解」に繋がる。僕らは完全無欠じゃない、というのはきっといつものback number節だけでなく、土方さんを通して私たちに伝えてきた言葉だったんだと思う。back number、相変わらず良い詩を書く。


吉沢亮の顔が良い。とにかく顔が良い。


小栗旬は本当に良い役者になった。昔はアイドル俳優みたいなイメージがあったが、ここ2、3年の小栗旬の進化はすごい。アカデミー賞とは言わずとも、何かあってもいいんじゃないでしょうか。


・土方さん(トッシー)の「1000年に一度のやつ頂戴」はアドリブっぽいなと思ったがアドリブだったらしい。古の歴史を大切にする古参オタクっぽくてよかった。1000年ではしかんにハマったのは新規扱いなのかもしれないけれど。

それにこたえて橋本環奈が恥ずかしそうにポーズを取るのも、それに銀時がつっこむのも、全てがよかった。


吉沢亮の顔が良い。


・鴨の追い込まれ方がとても良い。頑張って、頑張りが認められず、変わらず孤独であったとき、頑張りをやめることなくますます頑張り孤独になる。逃げ道はあったんやで、あるんやで、と声をかけずにいられないが、本人は未だに気付いていない。そして現れる走馬灯と、そこに凝縮された「楽しい思い出」が彼の人生のほんの一部であることに涙が止まらない。途中で力を抜けば、グレてしまえば、もっと友人の多い人生だったかもしれないのに。もっとあの走馬灯は長かったかもしれないのに。でもそれでは真選組とは出会えなかったんだ、長さじゃないんだね、密度なんだね。


・鴨の最後、まるでナウシカのラストシーン「其の者碧き衣を纏いて金色の野に…」みたいなやつ。きっと原作屈指の名シーンだったんだろうけれど、だからどうしても映像化しないといけなかったんだろうけれど、でも実写化したら違和感あったよね…なかった?絆を表してあたるんだろう、これが一番彼の欲しかったものなのだろう、と思いつつ、せめて最後は武士らしく、と合わさって、情報多寡‼︎‼︎と思いました。良いシーンなのだろうけれど。


・列車の中での土方の戦闘シーン、あれ吉沢亮ってこんなに殺陣できない役者だったかなと思ったけれど、あれはその後の台詞「見知った顔で情けが出る」ということだったのかな。武道初心者の私でも、この動きでは切れないだろうと思う動きが多かった。神楽が来てから動きが変わったように見えたので、きっとそういうことだったのだろう


・沖神?総神?なんて言うのか分からないけれど、いいね。銀魂2新規です!と言っていこうと思う。とても良いです。


・近藤さんが副長に語りかけるとき、右斜め後ろからのショットでは右目から涙を流し、正面に切り替わったときはどちらの目にも涙の跡がなく、その後左目から涙を流したように見えて、ん?と思いました。目薬でもなんでもいいからさしていてほしかった。連続性を大切にしたい。


・万斉の操る糸、彼が言うまで三味線の弦だなんて思わなかったよ。もうちょっとなんかなかったんですかね、それっぽい見た目。わたしの想像力が足りないだけか。


・1作目を劇場で見てから、銀時の人間としての核は幼い日の塾にあるのだと思っていたけれど、あの3人のエピソードは実はそんなにないということを2作目鑑賞後に知りました。過去に関するレイヤーは多ければ多いほど好きなのだけれど、あまりないのかな。そこを出さないと、桂がただのギャグ要員になってしまう気がするのだけれど。そういう話なのかな、でもそれでは少し勿体無い気がします。


三浦春馬くんは黒子をコンシーラーで消していましたね。役を作ることに対する本気が垣間見えたような気がしました。黒子あると三浦春馬くんになってしまうからね。




とりとめもなく箇条書きにしました。満足度の高い映画でした。自信を持って他人に勧められる映画。

不満足な豚と満足なソクラテスと逆立ちするリンゴ

長野県の地獄谷温泉に行ってきた。

主目的は自分たちが温泉に入ること。次に大きな目的は、猿が温泉に入る姿を眺めること。
地獄谷野猿公苑
なんでも日本で唯一、野生のニホンザルが誰に強制されるでもなく温泉に浸かる場所らしい。
日本で唯一ということは、きっと世界で唯一なのだろう。古代ギリシャにニホンザルはいないだろうから。

実際に行ってみると、意外とたくさん猿がいた。そして、当然のことながらそのあたりは彼らの土地なので、おさるさんたちは我が物顔で歩き、走り、飛び回り、毛づくろいをしている。私たちが歩こうと、話そうと、写真をとろうと、おさるさんたちには何の関係もないのだ。

何の関係もないからこそ、温かい(と彼ら彼女らが感じる)日にはおさるさんたちは温泉に入ってくれない。入る必要がないから入らない。
私たちが見に行ったとき、おさるさんたちは何をしていたかというと、ひたすら毛づくろいをし、観光客に向かってがんをとばし、雪を食って、温泉を飲んでいた。
雪を食って、温泉を飲んでいた。
なんだかそれはとても満たされた、とても幸せな生活に思えて、私は思わず「いいなぁ、こんな生活したいなぁ」と漏らしてしまったのだが、同行人にはそうは見えなかったらしく、その人は「幸せならこういう暮らしがいいけれど、ここで見ているだけでは幸せかどうかは分からないからなぁ」と言っていた。

おさるさんたちが幸せかどうか、私たちに分からないのは、果たして種族が違うからなのか、言葉を交わすことができないからなのか、それとも外から見ているからなのか。

しかし、人間同士でも、言葉を交わしても、なんであればどれほどの時間をともに過ごしていたとしても、自分以外の人間が果たして幸せなのかなど、誰にも分かりはしない。この世の中には分かる人もいるらしいが、それは分かったつもりになっているだけではあるまいか。

もっと言えば、内面から見たところで、自分自身でさえ、自分が幸せかどうかなどわ分からない。他人に迷惑をかけない範囲で、自分のことは自分で決めることができるので、自分がいま幸せなのだと決めてしまえば、幸せなのだなと思うことができるしそれは幸せということなのだ。幸せかどうかなど、結局は意思決定と、神経伝達物質の問題でしかない。

ということを考えながら見たおさるさんたちはしかしやっぱり幸せそうで、わたしはやっぱり雪を食って温泉を飲みながら生を全うする存在になりたいと思ったのだった。